ラプソディ イン ブルー?
2005年 10月 30日
あいかわらずブルーな気分。理由はいろいろ。あれこれ。
こういう時は、だいたい自意識過剰状態だから、
文章など書かないにこしたことはなし。
ろくでもない結果が見え見え。
でも、そうこうしてヘタっていてもなかなかブルーな気分は消え去りそうもない。
そうそう突然思い出したけど、京都の磔磔(タクタク)ってライブハウスで、
飛び入りで「♪Every-day I have a Blues~♪」って
歌いだした黒人のおっさんがかっこよかった。
いや、ブルーな気分=Bluesではないことくらい知っているけど・・・。
で、もうヤケクソで、後先なにも考えず、
「木工における自意識」について考察したりして(大丈夫か?)。
昔、友人から「私の友人の人形作家なんだけど、どう思う?」って、
写真を見せられたことがある。
辻村ジュサブローぽくもあり、四谷シモンをドロドロにしたようでもあり、
のその人形の写真は、もう、自意識が発酵して、
酢酸発酵を超えて腐敗臭を漂わせていた。
長い引きこもりを経て、やっと社会に顔を出す気になって、
ギャラリーでの個展を開くためにとった写真とのことだから、
個展に訪れた人は多分しばらくうなされたであろう(一応成功したらしい)。
京極夏彦あたりなら好みかも。
人形とか、顔は、作者の精神がそのまま表れるから怖い。
その友人は、別の時にいわく、「職人ていうのは、突き詰めて突き詰めて、
突き詰めぬいたところで自分を表現する人間だ」みたいなことを言った。
勘違いだと思う。
でも、こういう風にとらえている人は案外多いのかも。
その表現が当てはまるのは、職人ではなく、西洋近代のアートの話ではないのか。
職人ていうのは、それとはむしろ正反対の極での仕事をしている人たち、と思う。
手の動きはむしろ自動に近いところで。
自意識の入り込む隙間もないところで。
繰り返し繰り返し訓練された正確無比な仕事。
もうひとつ。オリジナリティについて。
なんか「人と違うことをやることがオリジナルだ!」
て思っている人間が多い、ような気がする。気のせいかな。
それもブルーな気分の原因のひとつなんだけど。
小手先だけで人と違うことをしてもしゃあない。
特に技術に関しては、先人に対してひたすら謙虚であるべきだ、と思う。
でも、職人仕事でなくてアートの世界でも、
オリジナリティなんて、ある奴にはあるし、ない奴にはどうやったってない。
それだけの話。実は、どんな仕事でもそうだと思う。
才能なのか、人生(生き方)なのか、それは分からないけど。
バッハがオリジナリティを追求したか?
モーツァルトがオリジナリティを追求したか?
コルトレーンがオリジナリティを追求したか?
多分そんなことを考えたこともないはず。
そのかわり、猛烈に勉強し、猛烈に先人の仕事を学び模倣し、盗み、
自分で表現するべきことを表現しただけ、ではないか。
そうそう、「真似る」っていう言葉が、
ものすごく低いレベルでしか受け取られない。
僕は、この言葉は、作り手としてのとっても謙虚な姿勢を表している、
と思うんだけど。
でも、見たままの形やら、アイディアやら、思いつきを、
「他人とそのまま同じことをする」ていうレベルでしか受けてってもらえない。
そのたびに、またブルーな気持ちになるのでした。ふう。
でもモーツァルトもベートーベンもダ・ビンチもミケ・ランジェロも、
スピルバーグも、スーパースターの皆が皆、
「真似」からスタートしている事実の前では、
そんなちっちゃいことは、どうでもいいか。
「木工と自意識」についてはまた今度。
ヤケクソの一文でした。あらら。
「工芸」人気blogランキングを見る???
こういう時は、だいたい自意識過剰状態だから、
文章など書かないにこしたことはなし。
ろくでもない結果が見え見え。
でも、そうこうしてヘタっていてもなかなかブルーな気分は消え去りそうもない。
そうそう突然思い出したけど、京都の磔磔(タクタク)ってライブハウスで、
飛び入りで「♪Every-day I have a Blues~♪」って
歌いだした黒人のおっさんがかっこよかった。
いや、ブルーな気分=Bluesではないことくらい知っているけど・・・。
で、もうヤケクソで、後先なにも考えず、
「木工における自意識」について考察したりして(大丈夫か?)。
昔、友人から「私の友人の人形作家なんだけど、どう思う?」って、
写真を見せられたことがある。
辻村ジュサブローぽくもあり、四谷シモンをドロドロにしたようでもあり、
のその人形の写真は、もう、自意識が発酵して、
酢酸発酵を超えて腐敗臭を漂わせていた。
長い引きこもりを経て、やっと社会に顔を出す気になって、
ギャラリーでの個展を開くためにとった写真とのことだから、
個展に訪れた人は多分しばらくうなされたであろう(一応成功したらしい)。
京極夏彦あたりなら好みかも。
人形とか、顔は、作者の精神がそのまま表れるから怖い。
その友人は、別の時にいわく、「職人ていうのは、突き詰めて突き詰めて、
突き詰めぬいたところで自分を表現する人間だ」みたいなことを言った。
勘違いだと思う。
でも、こういう風にとらえている人は案外多いのかも。
その表現が当てはまるのは、職人ではなく、西洋近代のアートの話ではないのか。
職人ていうのは、それとはむしろ正反対の極での仕事をしている人たち、と思う。
手の動きはむしろ自動に近いところで。
自意識の入り込む隙間もないところで。
繰り返し繰り返し訓練された正確無比な仕事。
もうひとつ。オリジナリティについて。
なんか「人と違うことをやることがオリジナルだ!」
て思っている人間が多い、ような気がする。気のせいかな。
それもブルーな気分の原因のひとつなんだけど。
小手先だけで人と違うことをしてもしゃあない。
特に技術に関しては、先人に対してひたすら謙虚であるべきだ、と思う。
でも、職人仕事でなくてアートの世界でも、
オリジナリティなんて、ある奴にはあるし、ない奴にはどうやったってない。
それだけの話。実は、どんな仕事でもそうだと思う。
才能なのか、人生(生き方)なのか、それは分からないけど。
バッハがオリジナリティを追求したか?
モーツァルトがオリジナリティを追求したか?
コルトレーンがオリジナリティを追求したか?
多分そんなことを考えたこともないはず。
そのかわり、猛烈に勉強し、猛烈に先人の仕事を学び模倣し、盗み、
自分で表現するべきことを表現しただけ、ではないか。
そうそう、「真似る」っていう言葉が、
ものすごく低いレベルでしか受け取られない。
僕は、この言葉は、作り手としてのとっても謙虚な姿勢を表している、
と思うんだけど。
でも、見たままの形やら、アイディアやら、思いつきを、
「他人とそのまま同じことをする」ていうレベルでしか受けてってもらえない。
そのたびに、またブルーな気持ちになるのでした。ふう。
でもモーツァルトもベートーベンもダ・ビンチもミケ・ランジェロも、
スピルバーグも、スーパースターの皆が皆、
「真似」からスタートしている事実の前では、
そんなちっちゃいことは、どうでもいいか。
「木工と自意識」についてはまた今度。
ヤケクソの一文でした。あらら。
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by morinoki8
| 2005-10-30 20:01