handicraft森の樹の日常をなんとなく。木工のお話も。


by morinoki8
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カテゴリ:工芸( 15 )

読書日記から

「もりもり読書日記」に書いた読書メモですが、少し、仕事の話なので、以下コピーを貼り付けます。本は、「日本力 松岡正剛 エバレット・ブラウン著」(PARCO出版)。

尊敬する松岡正剛先生の対談本。図書館で見つけて借りてきて、一気読み。
エバレット・ブラウンさんの名前は知らなかったけど、今後著書を探して読もうと思う。

美しい可能性に満ちた本だと思う。買ってきて家に置いておかなくちゃ。
同時に、場末のものづくりの一人として反省を強いられる耳の痛い言葉もたくさん。いやむしろ、そちらの方が。というのも、今日も卸先を挟んでお客さんとのコミュニケーション・ギャップで小さなトラブルがありました。はい、こちらの事情はたくさんありますが、客観的にみると悪いのは明らかに私です。プロ意識の欠如でした。ってなんの話だ。

以下、ちょっと抜書き


松岡 職人さんの場合でも、このホゾはこのカンナだなとか、このキリだなチョウナだなと選んで、いろいろとニュアンスを合わせてやっていくわけですけれども、そういったことが全部、頭なり体なりに残っていて、その記憶なり蓄積が出てくることで、ものが仕上がっていく。(中略)しかも、どこかちょっと違ったなとか、動きというかゆらめきがあるから、未完成のままで、それが次のものを生んでいく。(p158)

松岡 職人や絵描きたちがひとつのものをつくりあげるのに、どれだけ手間暇をかけてきたのか、ひとつの価値観がつくられるまでに、どれだけの月日がかけられてきたのか。そういったことをとらえる時間の感覚が、日本人はかなり麻痺してしまいました。 (p184)

松岡 ハッといいものができた。なぜできたかわかないけれども、できたという、そういうことが起きる。自分でとりに行くスピードと、やってくる偶然とがピタッと一致する。これがセレンディピティですけれでも、そういった偶然を準備するには、それをうけとるだけの下地、全体のコーディネーションをつくっておかないといけない。日本人は、この下地というものを時間なり手間暇をかけて、しっかりつくっていたと思うんです。
(中略)
 その「手続き」というのは時間と一緒ですから、時間をかけて、手間暇をかけて、くりかえしていないとわからないんですよね。そういうことがとても大事だいうことは、あらためて強調したほうがいいでしょうね。(P192-p193)

ブラウン ぼくが日本の豊かで深い文化や遊び、禅や神道といったものがすきなのは、そこで「自分が消えていく」という体験ができるからです。自我というものが消えて、自然と一体となり、人と一緒になる。自分自身が溶けていく文化とでもいえるでしょうか。
西洋では「個人」や「自我」というものが確固たるもので、それが紛れもなく存在するとされていますが、それは幻想だと思います。この世界の本当の姿は、日本の文化のほうがしっかり、とらえている。「自己」や「自我」といった余計なことにふりまわされない、自然に溶け込んでいくことの出来る「ただの生命体」--ぼくは、その解放感
がとても好きです。(p298)


ものづくりのはしくれとして、「手間暇」を惜しんだための失敗は、10年を超えても日常茶飯事である未熟な僕には、本当に耳に言葉が突き刺さるのだが、いまも、漆の作業をして、「なんでこんなことになるの?」という初めての(失敗の連続の)経験に右往左往している。ここ数日の気温の急激な変化(といっても5度以内だが・・・)のせいなのか、漆そのものの品質のせいなのか、それはわからない。漆芸家ならば、当然理由も対処方法も分かる程度の変化なのだろうが、漆仕上げがすべてではない木工家にとってはまったくの未知の領域。
でも、自然素材と付き合うにはマニュアルは部分的にしか役に立たない、というのは一方で楽しい経験でもある(仕事としては締め切りもあるので気が気ではないのだけれども)。
そういう謙虚さをもって仕事をしないと仕方がないな、と思っている今日この頃。
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by morinoki8 | 2010-09-26 22:05 | 工芸

春の祭典・沖展

昨年初出品した、沖縄の春の祭典「第62回沖展」。美術・工芸の多くのジャンルを含んだ県内最大の公募展です。応募総数はなんと2000点にもなるとのこと。

今年からは、木工関係者の努力により木工部門も新設されました。昨年は木工部門が無かったので彫刻部門に出品したのですが、これで晴れて堂々と木工部門に?

と言いたいのですが、一度彫刻という禁断の実を食べてしまったこの身はどうにもすっきりしない。正直木工よりも彫刻部門で挑戦したい。
とはいえ木工部門も当然お誘いはあるし、新設なのでドサクサに紛れてなにが起こるかわからない。うーん、じゃあ、ふたつとも出しちゃえ!てなことにあいなりました。とはいえ、出品料は決して安くない。時間の余裕だってあるわけじゃない。悩ましいことなのでした。

で、締め切りぎりぎりになんとか間に合わせたのが、こちら木工部門の出品作。

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どっかで見たような・・・・。
そう、1昨年のウッディフェアコンペに出品した「ダチョウのライト」の卓上版のさらに改良型。
商品として定番にするには、少し洗練が足らなかったので、細部のデザイン及び電気配線や金具を改良しました。

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特に改良したのがヘッドの部分。このデザインだと頭を回転させることはできませんが、卓上なので問題なし。それよりもすっきりとさせることを優先。でも構造は複雑です(裏面の写真を撮っておけばよかった)。機械の木型のように複雑な彫が裏面には施されています。
なんどか試作品を作り、とりあえず今はこの形。やっぱり時間がかかりました。

結果は、無事入選。49点中26点の中には入ることができました。

で、本命はこちら。彫刻部門へ出品した「Shall I stand up, for my right?」。イスが立ち上がりいなないています。

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本当はもっと複雑な形を構想していたのですが、最初なので無難に。
また携帯で撮った写真なので(いつもデジカメで撮るのを忘れてしまう・・・)、いまいちですが、360度どこから見ても面白い形と質感が作れました。

これはいけるんじゃない?とまたまた「我褒め」の悪い癖が・・・。というわけで彫刻というか立体造詣は素人の癖に、心の中では入賞を狙っていたのでした。出品受付会場で他の方の作品を見回して「うーん、グランプリは無理にしても、これは可能性あるぞ」・・・と。どわはは。自惚れは続くのでありました。文句あるか!

結果は、入選どまり。社会の厳しさを実感しております。なんつって(笑)。
いや、こういう自由なものづくりはひとつ作ると、次に作りたいものが何倍も出てきます。なので、多分、これは1年に1度の(いい意味での)お遊び、自由時間として続けていきたいなぁ、と思います。

木工部門はというと、こっちは本業なので、どうにも自由であることは難しいですね。willとmustの間で来年もジレンマに悩まされそうです。
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by morinoki8 | 2010-02-08 18:22 | 工芸
というわけで、年一回の沖縄最大の木工の大イベント「第14回沖縄ウッディフェア」

僕が木工を始めた頃、このイベントに出展すればほとんど売り切れ、という過去の栄光がありましたが、そういう過去の栄光にぶら下がっているうちに、気がつけば、何年も惨敗状態が続いてきました。

「まあ、出展料+日当ぐらいは出たかな」という年が何年も続けば、これは、そのままではもう売れないのだな、という判断をしてしかるべき(いえいえ、毎年ちゃんと工夫してデザインや品揃えはその都度考えてはきたのです)。

なので、今回は、抱き合わせのコンペの賞金で出展料を賄えたので、「じゃあ、もう売れなくてもいいや、なんか新しいブースの見せ方をしてみよう!」と思ったのでした。

思ったのはいいのですが、このところ注文に負われ、とてもとてもイベントに手が回らない。「お客さんを待たせても出展には全力を賭けるべきだ」という方もいますが、僕としては個別の約束を優先したい。出展は出展自体が約束なのでそこを外さなければ、あと何を出せるかは単に自分の責任。

と、あとからあとから言い訳が見苦しいのだけれども、なんとかかんとか、イメージしていたブースを作りました。

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なんと美しい!と思わず我誉めの悪い癖が・・・。

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こちらは正面から。
アジアンテーストの杉の家具と漆のダイニングテーブルセット。

売上はイマイチでしたが、それでもここ数年の中ではまあ上出来。
それ以上に、注文や注文の相談も含めてたくさんのお客さんといろいろ話が出来ました。

まあ、イベントへの出展は、新しいことへのチャレンジと、純粋に多くの方と出会える楽しみ、として余裕を持っていたいと思います(って来年はどうなることやら)。

ゆいむんさん、写真ありがとうでした!!
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by morinoki8 | 2009-11-23 21:33 | 工芸

近藤精宏作陶展

今日からですが、沖縄三越5Fギャラリーにて、近藤精宏氏の作陶展が開催されています。

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近藤氏は、この1月に、組み木作家の小黒三郎氏とともに来沖され、やんばるの木工仲間と一緒に呑みながら工芸について語り合いました。

今回は、初めての沖縄での個展です。僕自身は明日会場にお邪魔して来る予定ですが、沖縄の皆さん、ぜひお越しください。

会期:6月30日(火)~7月6日(月)(最終日は17時まで)
   午前10:30~午後7:30
会場:沖縄三越5階ギャラリー


近藤精宏氏略歴

1945 新潟県柏崎市に生まれる
1971 小山富士夫先生の内弟子として花の木窯開窯に従事
1975 岐阜県瑞浪市半原に独立
2000 NPO法人瑞浪芸術館理事長就任

収蔵 木村茶道美術館 ひなげし美術館 瑞浪美術館 
    宮城まり子ねむの木学園 ・茶室
個展 高島屋(横浜・大阪) 松阪屋名古屋本店 渋谷黒田陶苑 ニューヨーク マニラ

~個展に寄せて~

初めて小山先生の鎌倉の自宅を訪ねた折、「首里の土で焼いたものです」と云われ、デフォルメされた焼き〆の水指を見せていただきました。沖縄の落日の夕陽を想わせる赤々としてゆったりとした造型は強烈な印象で今模忘れる事ができません。
縁あって1975年岐阜県瑞浪市の郊外、恵那山を一望する山里、半原に独立開窯しました。穴窯、登窯、蛇窯で薪を使っての焼成でぬくもりのある美しい器を目指しています。
この度、初めての沖縄での個展です。粉引きを中心に約50点の展覧です。ぜひお立ち寄りください。

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by morinoki8 | 2009-06-30 21:37 | 工芸
小黒先生と同行して来沖された陶芸家の近藤氏が自らの修行時代を振り返りながら次のように言われました。

「師匠の作るものを、師匠の技を完全にコピー出来るようになるまでが修行なんだよね。でも、どうしても『自分』が出ちゃう。ダメな人ほどすぐ『自分』が出て来るんだよ」と。

小黒先生は、糸鋸の職人として工房に入りたい人に対して「一年間、ひたすら線を切る練習をしてください。1年間続けられたら合格です。工房で受け入れます」と宣告されているとのことでした。

共に重い言葉だと思います。

僕自身は、そういう直接の師匠を持たず、職業訓練校と建具屋を駆け足で抜けた後、やはり駆け足で日銭稼ぎにモノを作り始めた人間なので、そういう師弟関係をとてもうらやましく思います。そういうことができるのは十代か二十代前半までのことでしょう。

世の中には、すぐオリジナルだ、「自分らしさ」だという人がいますがどうにも薄っぺらい。師匠の獲得したものを自分もまた獲得した上で、それでも溢れ出てくるもの、そこではじめて「オリジナル」と言えるのでしょう。

同じく一緒にお話した木地玩具作家の平林さんは「いままでにないからくり独楽を考えるのに四苦八苦しています。よおし、これならどうだ!というものを考え付いても、調べてみると、たいてい師匠がすでに作っている物だったりするんですよ」と云われていました。
やはり、オリジナル/創造の難しさを語られたのだと思います。

極端な例ですが、「他人と違うことをするのがオリジナルだ」と思っていると思われる知り合いの木工屋がいます。彼は極端なので、道具の使い方も本来の使い方をあえて外します。小さな丸い穴を開けるときにはドリル錐を使えば簡単なのですが、他人と同じことをしたくない彼は、ルーターという重たい機械を使います。平面を研磨する時には、ベルトサンダーという便利な機械があるのですが、かれはポリッシャーという高速円運動をする機械を使います。またサンドペーパーは一般に方向性がランダムですが、彼は、仕上げ鉋のように気合を入れて一方向に滑らせます。

結局、膨大な時間をかけて不完全な仕事が出来上がります。当然の結果とはいえ悲しいことです。

だって機械だって、鑿や鉋やノコギリだって、全部自分が考えたものじゃなくて、1000年を超える歴史の中で、気の遠くなるような試行錯誤と仕事によって現在の形になっているんですから。
作るものも椅子だってテーブルだって基本的な形は決まっています。脚が29本ある椅子は誰も作りません(アートならば別の話ですが)。

そんなこんなを無視して出来上がるものはオリジナルなんてものではなくて、単なる出来損ないですよね。

と、他人の批判をしておいて、じゃあ、てめえはどういう風にものを作っているのか?エラソーなことを言ってないで、それを聞かせろ!と言われるでしょう。
実は、この7月に、はじめて自分の名前でプロの展示会に出品して丸十年になります。
吉本隆明が「なんでもいい、ひとつのことを10年続けることができれば、それで食えます。一人前です」と繰り返し言っています。その言葉を信じてやっとここまで来ました。

この機会にちょっといままでを振り返って、そして次の5年、10年を、どうしたいのか、どうすべきなのか、自分のための指針として考えてみたいと思っています。

とはいえ、吉本隆明は「丸々10年じゃないと駄目ですよ。9年と364日では駄目ですよ(笑)」とも言っています。ということは後半年まだ残っています。この大不況の中、それまで持つか、handicraft森の樹?!
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by morinoki8 | 2009-01-28 19:19 | 工芸
組み木の世界の第一人者で、海外でも有名な小黒三郎先生。
8年前より、沖縄との縁がつながり、2年に一度のペースで個展を開催。

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小黒さんの個展に伺うのは今回で2回目。前回は多分6年前か。今回はゆいむん工房の長嶺さんと一緒に見に行きましたいやー、あれもこれもどれもそれも欲しくなりました。
特に飾り雛。
上のDMのものは3段ですが、5段のものもあり豪華。
値段も、一般の飾り雛の価格に比べるととてもお手ごろ。

大先生を相手にしていうのもなんですが、悔しい。
木工作家の展示会で、勉強をさせていただくことは多々あっても、そのものを欲しい、と思うことは、ほとんどない。ぺーぺーとはいえ、同業者に「欲しい!!」と思わせるその力量。まったく横綱です。

「欲しい」は置いといて、前回にはあまり感じなかった「作品の凄さ」を今回はつくづく感じました。それはこちら側の成長の証でもあるのでしょう。自分に力がついてこそ分かる相手の凄さ。と、さりげなく「我誉め」も滑り込ませておきましょう。

さてその小黒先生、我があっぺ-師匠とそしてなぜか「おもしろもんちゅうま」の中馬君と仲良し。ゆいむん工房さんの子供が通う本部小学校での小黒三郎ワークショップを終えた夜、中馬君が幹事のやんばるでの呑み会にお誘いを頂きました。

呑み会には、小黒さんに同行された陶芸家の近藤靖宏さんと木地玩具作家の平林正志さん、沖縄の組み木玩具作家の有賀さんとわれらがあっぺー組で。

平林さんの持ち出した小さなからくり独楽で、皆で独楽回し大会。

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「こうやるんだ!これは!」と楽しそうなのが小黒さん

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あっぺー師匠も挑戦しましたがあえなく撃沈。小黒さんと作者の平林さん以外は、誰も回せないのでした。うーむ。

その後、改めての自己紹介でトップバッターの近藤氏が人生を語ったため、そのあとは、それぞれの人生を語る会になっていきました。私もついつい、前の仕事を辞めて沖縄に移った理由、木工をはじめた訳、を語ってしまいました。あの怒涛の1996年を語るのも久々でしたが・・・。

先輩方の話を聞いて、ここで書きたいテーマもいくつかいただきました。
また、折に触れて書いていきたいと思います。
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by morinoki8 | 2009-01-25 20:54 | 工芸

転職?

なんつって、また大げさなタイトル。

いや、夏場って木工ヒマなんです。テッテ的に暇。
売上はないし、注文は途絶えるし・・・。
沖縄でも木のイメージは「暖かさ」であったり「温もり」であるみたい。
本当は冬に暖かく、夏にひんやりでオールシーズンなはずだけど・・・。

巷に流布したイメージってママならず。
だって夏はビール!って書くと、だれも「そうだぁー!」「おー!」ってなるもんね。

というわけで木工屋は夏は暇です。

なので、シーサーを作ってみました。
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まずは漆喰シーサー!
これはけっこう大ぶり。身長30cmくらい。なかなかいい?
でも、大ぶりなヤツはいいのですが、ちび漆喰シーサーの出来がいまいち。
なかなか水準に達せず。なんどもなんども潰してはやり直し中です。

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こちらは粘土シーサー。
粘土といっても、元々は木。鉛筆を作る工程で出る木屑を原料に作られたエコ粘土。
乾くと丈夫。見てのとおり色も塗り込めます。なので、ちょっとお茶目なゴーヤーシーサーシリーズをば。
こちらはなかなか上出来なのですが、でも実をいうとオリジナリティに少々難がありまして・・・。
いや、ゴーヤーとのセットも、表情も全部私の手が生み出したものではありますが、顔の基本構造にお手本がありまして・・・・。この時点ではまだまだお手本から完全に巣立ってません。
ちなみに木工の先輩N氏は「シーサーにオリジナリティなんて関係ないよぉ!なんでもいいんだよぉ!OK、OK!」とのこと。たしかに巷のシーサー、パターンは出尽くしているし・・・・。
まあ、お気楽に、でももうちょいモリモリ色が出るように・・・。

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オガクズで粘土が出来るなら、あんたいくらでも原料あるじゃないの!っですって?

はいはい。ありますよ。というわけで、オガクズ集めてボンドで練ってやって見ました。
でもでもオガクズでは粒子が大きすぎて、まあ、コレくらいの造型ですね・・・。没。
お尻に鉛を入れて、フクロウや煤ワタリ(マックロクロスケ)のペーパーウエイトならば出来ますが・・・。

てなわけで(「てなわけ」ばっかり)、先週一週間、木工をサボって漆喰と粘土と格闘していました。夏休みの(一人)工作教室って感じで楽しかったですよ。

このシーサーは、7/18日より31まで、mokumokuにて展示します。題して「手作りオモシロシーサー展」。他のメンバー全員オモシロシーサーを作りますので、遊びに来てくださいね。

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写真は、我が家のベランダから見た向かいの丘の風景。早朝と夕暮れ時は、モノクロになり
稜線の松の木が浮かび上がります。中央の松のシルエット、ベレー帽を被った絵描きさんが羽ペンでスケッチをしているように見えませんか?去年くらいからこの姿になりました。僕も、シーサーとは別にもうひとつアートに近いところで表現してみたいことがあります。
この話はまた今度。
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by morinoki8 | 2008-07-01 22:37 | 工芸

鴨長明? 異文化取材記

2~3月に紹介した、英字誌「OKINAWA LIVING」の取材。
5月に記事が出ました。

題してWITH THE GRAIN
記事のトップに、手鉋座で削り出した私の座卓のスーパーアップ。

インタビュアーであり記事を執筆したキャリーさんとは多少の齟齬や誤解もあるみたいですが、そこは日本人同士でも難しいこと。キャリーさんのインテリジェンスはなかなかたいしたものです。

で、ちょっと大雑把に訳してみたのですが、文章が難しいし長い。なのでここに載せるのは辞めました。

とはいえ、タイトルにある鴨長明は何ぞや、という疑問もあるかと思います。
なので、その辺りだけをちょいとお見せいたしやす。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自然との調和的な共生を強調する日本的デザイン哲学の基には、13世紀に小さな方丈で書かれた短いエッセイにその源があるのかもしれない。
鴨長明によって書かれた日本の古典である「方丈記」は、身の回りの環境との関わりを通じて人生の意味と自由を探求している。
何度も繰り返される自然災害と政情不安の時代の中で、長明は快適な都市生活を捨て、自然の中に素朴な小屋を建てた。純粋な自然の美に囲まれて暮らす禁欲的生活の素晴らしさを方丈記は書いている。自然の中でシンプルであることを謳う長明のイメージは、数世紀にわたって日本のものづくりに影響を与え続け、それは今も日本人の心に残っている。

(中略)

もの静かでシャイな男、サトウさんの人生は、1994年の阪神大地震に被災したことで大きく変わった。彼は、人生は不幸なままでいるには短すぎる、と悟った。
「僕は自由でいよう、これからはやりたいことだけをやろう、と思ったんです」と語る。長明のように仕事を辞め、都会から離れ、自然の豊かな沖縄に移ってきた。

(中略)

サトウさんが自由と幸福を追求している名護の小さな工房の周りを囲むのは、
サトウキビ畑、稲の水田、そして咲き誇るハイビスカスの花。
それは長明の方丈の現代における再現のようだ。
この工房で、これからも美しい木工品を生み出し続けていくだろう。

・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・・・・

はいはい。
最初、鴨長明が出てきた時には、なんとまあ、大げさな・・・、という感じがしたのですが、そういう「落ち」なのね、という感じ。
鴨長明の方丈は「世捨て」「死への準備」「無常の思想」の場なのに、
僕の工房はといえば生活の手段。
まだまだ子供は小さいぞ、もっと稼がにゃあおえんがな(=もっと稼がないと駄目だぞい)、という俗世間=欲界そのもの。
だけど、キャリーさんの文章を読んでいると、なんとなく本当につながっているようにも思えます。方丈の再現は言いすぎですけどね。

でもまあ、無常を悟るには、僕はまだ若すぎる。I am too young to realize a philosophy of MUJHO.てなもんや。なので頑張って「美しい木工品を産みつづけたい」と思います。
キャリーさんどうもありがとう!

(ちなみに訳文は、かなり意訳・省略しています。日本語の全ての責任は私もりもりにあります。今回、英語力の衰弱を痛感したもりもりでした)
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by morinoki8 | 2008-06-06 17:07 | 工芸

というわけで3日目

なので本題に入ります。

インタビュアーのキャリーさんから、
Carry:日本では、樹に聖霊が宿っているといいますよね?
morimori:そうですね。樹だけでなく、そこら辺の雑草から石ころまで全てに神が宿っているんですよ。なにしろ800万も神様がいるんですから。
(これは僕のミス。神だとGODになるけど、ヤオロズの神は聖霊の方が近いかもしれない)
C:・・・(怪訝な顔)
m:・・・ああ、聖霊ですね。なので、樹を切るときには、お祈りをしてから倒します。
C:それは私も素晴らしいと思います。アメリカではお祈りはしないです。
m:お祈りしないと、なんとなく怖いんですよ。気持ちが落ち着かない。
C:でも聖霊が宿っている樹をあなたは切ったり削ったり叩いたりしてますよね。それはかまわないんですか?
m:ウッ・・・(絶句)。・・・おっしゃるとおりですね。

そうなんです。つっこみに対応出来ませんでした。
と言っても、このことは僕の中で突然の質問というわけでもなし。時折そのことは考えてはいたんです。

勿論、物理的な話ではありません。精神的な話です。
そもそも樹の中で、木材として使う木部は樹として生きている時点で、死んでいる。木部は、構造体として樹の一部をなしているだけで、そこの細胞が生きているわけではない。
樹が倒されると今度は生きている形成層や葉や毛根も死にますから、いわば木部は2度死んでいる。それを板にし乾燥し、その後はじめて切ったり、削ったり叩いたりしているのだから別に生き物をいたぶっているわけではないです。

しかし、Spirit=聖霊、あるいは日本語の神様の話であれば、それはまた別の話。

このときは、「なので、できるだけ無駄を出さず、小さな端材まで使い切るようにしています」と逃げを打ち、それでとりあえずはキャリーさんは肯いてはくれました。
でも、十分な答えにはなっていませんよね。

昔、有名な木工玩具作家の本を読んでいると
「僕たちの仕事は自然の恵みを頂いているんです。(中略)自動カンナに板を通す時の音は、僕には樹が歌を歌っているように聞こえるんですよ」みたいなことを言っている文章を読んだ事があります。

この文章を読んだ瞬間、ウソクセー!!とすごく腹が立ちました。
西原理恵子だったら「はんかくせぇ!!」と顔を歪めるところでしょう。

自動カンナの音はそんな牧歌的な音ではありません。たんなる機械のうるさい音です。もしも樹だけではなく板にも聖霊が宿っているのだとしたら、僕にはそれは板の悲鳴にしか聞こえません。歌声にしろ悲鳴にしろ、フィクションというかファンタジーの部類でしょうからどちらでもいいのかもしれませんが、あの騒音からキレイな物語を紡ぎだしてしまう感性というのはいったいどういうものなのでしょうか?

どうせ素人は自動カンナの音なんて聞いたことがないだろうから、モノが売れるように心地よいお話を作っちゃえ!というイジキタナイ思考が透けて見えてしまいます。
僕が捻くれているだけだったらいいのですが、多分当っている。
というのは、よくパンフレットやチラシに「木と会話を交わしながら」とか「木の声を聞きながら」とか書いている木工家の作るものといえば、大型機械で量産し、べっとりとプラスチック状にウレタンニスをぶっかける。そんな人を多く見てきました。

法隆寺の棟梁であった故・西岡常一氏みたいな人が「木の声」というのは説得力があります。それを裏付ける技術と仕事の仕方の上での話ですから。僕自身は、とても木の声が聞けるほどの技量はもちろんまだありません。

でも木の声を聞く、という時には多分技量の裏づけだけでなく、聖霊/神を感じる感性も必要なんだろうな、という気だけはしています。それは、あと10年くらいすれば自分にとってもう少しクリアになるのかもしれません。

さてさて、いつものことながら話があっちこっちしてまとまりはありませんが、キャリーさんとのインタビューは楽しかったです。もともとインタビュー=inter viewとは文字通り「視点を交換」するということです。自分で気がつかない自分を発見する。あるいは自分の課題を認識させられる。それが取材を受けるときの楽しみなのですが、なかなかそんな取材に当ることはありません。
Kさんからのメールによると、キャリーさんのお父さんはアメリカのWOOD CRAFT MANとのこと。どおりで木工に詳しいし、きつい突っ込みもあったんですね。
最初の樹に宿る聖霊の話ではありませんが、異文化の同業者といろいろ話がしてみたくなりました。
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by morinoki8 | 2008-02-09 22:07 | 工芸

金言

昔々、私が中学生の頃のお話。

吹奏楽部にてTromboneを吹いておりました。
当時の僕は、プロの音楽家を夢見て練習に励んでおりました。

その当時、ラッパ吹きの間で流行ったのが、デニス・ウィックモデルのマウスピース。
ロンドン交響楽団の主席Trombone奏者が設計したモノ。

既存のマウスピースとは違い、Clasic音楽専用の柔らかな音が出るということで大流行。
中学生の僕は、お年玉と小遣いをせっせと貯めて、そしてそのマウスピースを手にした時の感動は今でも鮮明です。

以上が前置きです。

で、プロを夢見ていた僕は、同じ頃発売された同じデニス・ウィック氏のTrombone教本も買い、さらに練習に励みました(エライ!)。

そのDS氏の教則本の最初に書かれていたのが

「もうあきらめろ!」


という言葉でした。
この言葉は、ロンドン交響楽団の楽屋に大きく貼られているそうです。
そして、DS氏はこの言葉を「金言」として紹介していました。

当時の僕には、それがなぜ金言なのかちゃんと理解することは出来ませんでした。
当時のみならず、つい最近まで、かもしれません。

最後の最後までベストを尽くす!

という言葉の方が、音楽でもスポーツでも仕事でも恋愛でも(?)耳に入りやすいですよね。

でもでも、最近なんとなくこの言葉の意味がわかるような気がします。
直前までジタバタしても結局たかが知れている。それが今の自分の実力なんだから、その実力をちゃんと見せなさい、ということなんだと思います。
そして、その実力は日々の自分のあり方次第なんだから、日々ちゃんと修行しなさい、という事なのかもしれませんね。

ということを一週間前に書くとタイミングが良かったのですが、相変わらず諦めが悪く、日々ドタバタしているので、こんなことになりました。

というのは、とうとう一週間を切った京都展のこと。
展示会の時はいつもそうですが、自分のやりたいことの、あるいはもっと具体的に計画していたことの60%くらいのモノしか作れません。今回も同じような感じです。

でも、なぜか、この金言を思い出したので、イライラして失敗したり、家族に不機嫌に当ったりは少なかったみたいです。

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こちらは、そのドタバタの中、7月の展示会のお客様からのご注文のフレームを(随分遅れながら)仕上げた時のもの。注文は一つでしたが、京都展用にもたくさん作りました。

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京都展を共催する蛍釜の山上氏との共同制作の「摺漆楠陶板座卓」
新しい試みですが、なんかええ感じや、です。

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で、京都展の僕のメインの作「大人のための摺漆楠書斎机」
本物はもっとカッコいいでっせ!

という感じで準備を進めています。
蛍釜の山上氏、琉球藍の中村氏もがんばっています。
関西方面の方、ぜひ、お越しくださいませ!ませ!

沖縄やんばるの手仕事展
~陶・藍・木~

日時:11月14日~18日 AM10:00~PM6:00
場所:東山・迦陵頻
    京都市東山区下河原町通八坂鳥居前下ル弁天町440-1
    電話:075-533-6662

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by morinoki8 | 2007-11-03 19:45 | 工芸