弘法大師廟~GW旅行記その4~
2006年 05月 11日
というわけで高野山です。
大和郡山を出たのがお昼前。寄り道もしたので高野山に到着は3時前。
なので、時間はやはりなく、大伽藍を駆け足で回り(建築様式はじっくり見たかった・・・)、金剛峰寺を外から参拝し(中も見たかった・・・)、お目当ての奥の院へ。
奥の院入り口である一の橋を渡るときはちょっとドキドキ。
杉、檜、そして松の巨木が聳え立つ森の墓所に足を踏み入れました。
圧倒的な巨木を前にたたずむ僕。
木工屋の性として、樹を見るとすぐ板を思い浮かべるのが常ですが、聖域にある今回はそんな不遜な考えも浮かばず(いや、ちょびっとだけは・・・)、ただただ見上げておりました。
こんな巨木が数知れず。
一の橋のすぐ側には、奥州伊達家の墓碑。
今月末に仕事(沖縄物産展&木工展)で仙台に伺うので、まずは一礼。
道々、信玄、謙信。政宗、三成、秀吉、信長等々の戦国武将の墓碑。
それだけではなく、近世、近代の偉人、賢人の墓碑も。
法然上人、親鸞上人の墓碑まで。宗派を超えた圧倒的な包容力。
個人的には明智光秀の墓碑にお参り。光秀は、巷で云われるような単なる裏切り者でも、官僚でも、保守主義者でもない(と思っている)。
だいたい出自が不明。で、30過ぎまで無名のまま各地を放浪している。で、突然の登場と同時に歴史の中枢へ。とっても不思議な人物。
信長との関係も主従というよりは同盟者なのかな(あるいは同盟関係にある勢力の代理人)?。
まあ、それはいいとして、無名の庶民、在日の方々、戦没者の方々あるいは会社、の無数の墓碑がある。ちょっと悲しいのは、お墓の規模がやっぱり勝ち組(権力)の順。あるいはお金の順。
徳川家は別にも特別廟を持ちながら、養子に出された結城秀康でさえも秀吉の墓よりも大きい。次に信長。光秀の墓はひっそりと。
そういう現実が理解できない歳でもありませんが、来世の供養も力次第なのかな?
実は、若くして亡くなった友人の焼香に伺った折、その仏壇の中にお大師さんが一緒に座っているのを見て、つらい気持ちがずいぶん安らんだことがあります。
なので、僕の骨もこの高野山に埋めて欲しいなってなことを道すがらdoremikoさんと話していました。でも、墓碑にこのように差があるのならば、墓碑は必要なく、道を外れたちょっと静かなあたりに内緒でそっと散骨してもらったらいいのかな、なんて思いました。
まあ、まだそんなことを気にする歳ではありませんが、今回岡山でも奈良でもお墓参りをしてきたので、そんな話になりました。
で、いよいよ御廟橋を渡って、弘法大師が入定留身(つまりまだ生きておられる)された大師御廟へ。
ちょっと緊張しました。
不遜も不遜ですが、「やっとお会いしにやってくることができました」などという台詞が脳裏を掠めたりもして、姿勢を正して参拝して参りました。まあ、その辺の詳しい僕の心内はちょっと伏せておきます。
・・・・
GWなのでごったがえす観光客の中で、奥の院灯篭堂も含めて高野山のお寺が俗っぽかった(灯篭堂で電気掃除機はないんではないでしょうか?あと料金の一覧表をお堂の前面に貼るのも)のが残念でしたが、そんなことを云う僕自身も、車でチャチャチャって上って駆け足であちこち回っただけの観光客に過ぎず、まあ、そんな批判めいたことは、麓から自分の足で登って、いろいろなことをかみ締めてからにしましょう。
帰りは来た道と反対側の371号線から。表側の480号線が渋滞の中、こちらはスイスイ。それもそのはず、ほとんど一車線で、対向車とすれ違うのが困難。でも、空いてはいるのでゆっくりゆっくり川沿いの新緑を楽しみながら下りて行きました。
また、機会をみつけてゆっくりと参拝したいと考えています。
翌6日は、大阪、京都と街へくりだすもりもり!
まだまだ続くGW日記!
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大和郡山を出たのがお昼前。寄り道もしたので高野山に到着は3時前。
なので、時間はやはりなく、大伽藍を駆け足で回り(建築様式はじっくり見たかった・・・)、金剛峰寺を外から参拝し(中も見たかった・・・)、お目当ての奥の院へ。
奥の院入り口である一の橋を渡るときはちょっとドキドキ。
杉、檜、そして松の巨木が聳え立つ森の墓所に足を踏み入れました。
圧倒的な巨木を前にたたずむ僕。
木工屋の性として、樹を見るとすぐ板を思い浮かべるのが常ですが、聖域にある今回はそんな不遜な考えも浮かばず(いや、ちょびっとだけは・・・)、ただただ見上げておりました。
こんな巨木が数知れず。
一の橋のすぐ側には、奥州伊達家の墓碑。
今月末に仕事(沖縄物産展&木工展)で仙台に伺うので、まずは一礼。
道々、信玄、謙信。政宗、三成、秀吉、信長等々の戦国武将の墓碑。
それだけではなく、近世、近代の偉人、賢人の墓碑も。
法然上人、親鸞上人の墓碑まで。宗派を超えた圧倒的な包容力。
個人的には明智光秀の墓碑にお参り。光秀は、巷で云われるような単なる裏切り者でも、官僚でも、保守主義者でもない(と思っている)。
だいたい出自が不明。で、30過ぎまで無名のまま各地を放浪している。で、突然の登場と同時に歴史の中枢へ。とっても不思議な人物。
信長との関係も主従というよりは同盟者なのかな(あるいは同盟関係にある勢力の代理人)?。
まあ、それはいいとして、無名の庶民、在日の方々、戦没者の方々あるいは会社、の無数の墓碑がある。ちょっと悲しいのは、お墓の規模がやっぱり勝ち組(権力)の順。あるいはお金の順。
徳川家は別にも特別廟を持ちながら、養子に出された結城秀康でさえも秀吉の墓よりも大きい。次に信長。光秀の墓はひっそりと。
そういう現実が理解できない歳でもありませんが、来世の供養も力次第なのかな?
実は、若くして亡くなった友人の焼香に伺った折、その仏壇の中にお大師さんが一緒に座っているのを見て、つらい気持ちがずいぶん安らんだことがあります。
なので、僕の骨もこの高野山に埋めて欲しいなってなことを道すがらdoremikoさんと話していました。でも、墓碑にこのように差があるのならば、墓碑は必要なく、道を外れたちょっと静かなあたりに内緒でそっと散骨してもらったらいいのかな、なんて思いました。
まあ、まだそんなことを気にする歳ではありませんが、今回岡山でも奈良でもお墓参りをしてきたので、そんな話になりました。
で、いよいよ御廟橋を渡って、弘法大師が入定留身(つまりまだ生きておられる)された大師御廟へ。
ちょっと緊張しました。
不遜も不遜ですが、「やっとお会いしにやってくることができました」などという台詞が脳裏を掠めたりもして、姿勢を正して参拝して参りました。まあ、その辺の詳しい僕の心内はちょっと伏せておきます。
・・・・
GWなのでごったがえす観光客の中で、奥の院灯篭堂も含めて高野山のお寺が俗っぽかった(灯篭堂で電気掃除機はないんではないでしょうか?あと料金の一覧表をお堂の前面に貼るのも)のが残念でしたが、そんなことを云う僕自身も、車でチャチャチャって上って駆け足であちこち回っただけの観光客に過ぎず、まあ、そんな批判めいたことは、麓から自分の足で登って、いろいろなことをかみ締めてからにしましょう。
帰りは来た道と反対側の371号線から。表側の480号線が渋滞の中、こちらはスイスイ。それもそのはず、ほとんど一車線で、対向車とすれ違うのが困難。でも、空いてはいるのでゆっくりゆっくり川沿いの新緑を楽しみながら下りて行きました。
また、機会をみつけてゆっくりと参拝したいと考えています。
翌6日は、大阪、京都と街へくりだすもりもり!
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by morinoki8
| 2006-05-11 19:54
| つれづれ